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作品たち

王様と逆さ吊りの男

 


あるところに住んでいた王様は、あるとき引っ越して一人暮らしを始めました。

バス·トイレ·キッチン付きの西側の角部屋でした。2階でしたから夕方には陽がよく当り、駅にも近く、徒歩3分の所に24時間営業の小さなスーパーも揃っていました。

厄介な事がありました。引っ越してきて気付いたのですが、王様の部屋の押入れには逆さ吊りになった男が住んでいたのです。

面倒なことです。でも王様よりももっと前から住んでいるのだから、仕方ありません。

気にしなければいいのですが、本当に居るんですからなんだか落ち着きません。押入れの四分の一は、既にまん中の段も切り取られ、完全に彼のスペースとなっていたので、布団を置くスペースも狭まり、王様としてはあまり面白くありません。
特に文句を言う気もありませんでしたが、たまに男の頭のすぐ下に、掃除機などを置いてみる事はありました。男は黙って見届けているのですが、決まってその次の日王様が帰宅すると、それは押入れの外に置かれていました。
王様の知る限り、男はいつも逆さ吊りでただじっとしていました。

お互い干渉し合うのは嫌いだったので、会話を交わすことも殆どありませんでした。

ぶつぶつと男の話声が押入れから聞こえてくることはありました。「誰としゃべってんだ」と尋ねると、決まって「ごきぶりだ」とか、「おばけだよ」とか、「ただの独り言だ」という不機嫌な声が返ってきました。

 
ある日、留守番電話に王様のお母さんがメッセージを吹き込んでいました。

普段は押入れでじっとしているのに、王様の留守をいいことにその日は畳でごろごろしていた男が、何気なく受話器を取ってしまいました。ガチャ !
「あ、あんたかぁ?」
「…………あ、いえ………。」
「お友達の方かいな。」
「あ、や、はい、同居人のものですが。今、王様はいません。」
「あ、わたしゃ一人で暮らしとると思うとったがな。
そりゃ、いつもいつもタカヒロがお世話になっとります。」
「…..あ、いえ、こちらこそ。」
「家でとれた野菜やなんや送っときましたさかいに、よろしかったらタカヒロと半分しといて下さい。」
「ありがとうございます。」

 
夕方王様は帰宅するなり、その後に続いたちょっとした世間話までしっかりと録音された留守電を聞いて、もう怒ってしまいました。
「なに電話とってんの!」
気まずいのか何なのかただじっと目をつむっているので、王様は呆れ返り、押入れをバアンッ!と閉めて一晩中むくれていました。

 

次の日の午後、やっぱり王様は留守だったので、代わりに男は宅急便を受け取り、ハンコを押しました。

箱の中には虫の食った見事な白菜や、土の付いた太いネギなどが新聞紙にくるまっているのとあと他に、佃煮のパックや、素麺も何束か入っていました。

男は昨日の事がとても気にかかっていました。悪い事をしたけど、わざとやった訳じゃないんだという事を伝えたかったのです。照れ臭いけど、自分は何かお詫びをするべきだと考えていました。

そこで、この白菜を使って何か簡単な手料理でも作ろうと思いつきました。
料理は初めてでした。

とりあえずよく洗って、一枚づつ葉っぱをむくところから始めました。すると中にも土がまだ残っていたので慌てて全部の葉っぱを洗い直しました。

大きなお鍋に水を張って火にかけました。包丁が見つかりませんでしたが、そのままの大きさで素材の美を活かし、一枚づつ丁寧にお鍋に並べて入れていきました。牡丹の花の様に見事になったので、男は大満足でした。
お湯がグラグラと沸き始めると、お鍋の外側に飛び出た部分が、ふにゃっと崩れて茶色く貼り付き、牡丹の花が枯れはじめました。熱さを我慢しながら慌ててその部分を素手で千切り取り、ゴミ箱に捨てました。火を消し、しばらく冷めるのを待ってから、周りにこびり付いた残りの茶色い部分も綺麗に爪で剥がし、少し崩れてしまった牡丹の形も整えて、机の上に醤油瓶と並べて置いておきました。牡丹の力強さを引き出す様なドラマチックな演出をしたいと思いつき、お箸を変わった形に配置しました。何度も引き戻ってお箸やお鍋の角度を調整し、やっと満足し終えると、押入れに戻って逆さ吊りになり、疲れを取るために軽い仮眠を取りました。


夕方、王様が疲れて帰ってくると、母親からの差し入れの箱は勝手に開けられ、白菜は丸ごと茹でられて机の上に誰かの食べ残しの如く放置されています。

しばらく無言でじっと見つめていましたが、これはあんまりだと、とうとうその場に座ったままシクシクと泣き始めてしまいました。その泣き声で目を覚ました男は、自分がまずい事をしてしまったのか、それとも王様は嬉し過ぎて泣いているのか分からずに、息を凝らしてじっと待っていました。

すると王様はスパンと襖を開けるなり、
「母ちゃんが半分やるっつったから食ったのか!家賃も払えない様なやつがどうして同居人だなんて言えるんだ、このボケ!」
と叫んだので、男もカッとなって
「食べてない!」
と、自分から襖をパチンと閉め、二人とも黙り込んでしまいました。


次の日王様が帰宅すると珍しく押し入れに男はいなく、2時間程して外から帰って来ました。「どこ行ってたんだ」と聞くと、「仕事が見つかったから来月から家賃は払える」と言い、王様は驚いてしまいました。

 

 

逆さ吊りの男が家賃を払う様になって、二年が経った夏の終わり、突然王様の所に使者が訪れてきました。二人は遅くまで何やら話し合いをして、終電も過ぎた頃、使者はタクシーで帰って行きました。

 
それから大臣からの電話は頻繁になりました。

ある日、男が仕事から帰ってくると王様の姿はなく、箪笥や棚に並んでいた物もすっかりと片付けられ、机の上には置き手紙がしてありました。


< 隣の国と戦争をする事になりました。
今後どうなるかは分かりませんが、とりあえずこの部屋は出る事になりました。残りの荷物は後日使いの者が取りに来ます。何はともあれ、今までいろいろとどうもありがとう。王様 >

 
手紙を持ったまま男は窓の外を眺めました。街頭が目立ち始めた夕暮れに、スーパーの袋をいくつも括り付けたママチャリの主婦や、裏返りそうな思春期の声でふざけ合う中学生たちが下の道を平和に通り過ぎて行きました。

 
それから一年が過ぎても情勢は何も変わらず、戦争はまだ長引きそうでした。どちらかと言うとこちらの国が優勢なんだとネズミは言っていました。それでもあちこちで、どこどこに爆弾が落ちたとか、誰々が徴兵に行ったとかそんな話を聞きました。
あれ以降、部屋を探しに来る者がなかったので、部屋は大家の物置になっていました。
家賃を払う必要もなくなったので男は仕事をやめ、使う宛てもなく持て余していたお金で、自分を吊るす丈夫で軽いアルミ製の素敵なフックを買いました。残りのお金は道端に置いておきました。
大家はたまに物を探しにやって来て襖も開けず、昨日麻雀でいくら勝ったとか、そんな話をしていきました。

 

一方、王様は戦場の真っ只中にいました。
のどかな原っぱに4本のポールを立て、旗がピロピロとたくさん付いたヒモを張り巡らし、小さい運動会の様になった真ん中でパイプ椅子に座っていました。教えられてきた通り、威厳のある座り方には気を付けました。大臣はそのまた横のパイプ椅子で、小さな画板を下げて書き物をしています。横に止めてあるバンでは、何人かの部下が忙しそうに、トランシーバーをカチャカチャ振ったり、大きな地図をクルクル丸めたり広げたりしていました。そしてたまに、この原っぱの向こうで繰り広げられているらしい戦闘状況について、何人死亡しましたとか、何人捕らえましたとか、そんな事を告げに来ました。そして王様は大臣とこそこそ相談をして、じゃあ今度はこんな感じで行きます、とまあそんな様な事を仰々しく発表すると、部下達は精一杯真剣な顔をして、また忙しそうに活動を始めました。見えないところにある大きなチェスボードで戦っているようなものでした。
最前線の状況や位置によって、キャンプをもう少し前に移動してみたり、後ろに移動してみたりしました。雨の日はみんなでバンの中に居ました。

食料は、毎日使いの者が届けるコンビニの弁当で食い繋いでいました。

弁当が冷めるのもそっちのけで働き続ける大臣を見て王様は思いました。
(本当にいらないんなら僕食べるよ。

なんかこの人の横に居るとプレッシャー感じるんだよな。悪い人じゃないんだけど。
この椅子も、だんだん僕のが押し退けられて大臣が真ん中に移動して行ってる気がする。
考え過ぎかな。
あ、この横顔って誰かに似てる。なんだっけ、あ、立川志の輔?志んの輔だっけ。きんの輔、みのすけ。

あの人も弁当置いて働いてそう。

まあ、いいや……みんなまじめだなぁ。
ああ、なんか、こう、「もっと食べたーい」とか叫んで突然へんな踊りとかしてみてえな。

 

……なんでこんな事やってんだろう。

…..なんで僕は、押入れの男じゃなくて王様なんだろう。

 

みんなが言うように僕はラッキーな人間なのかな。

こんなに人殺してバチ当るよなぁ。)


薄くぼやけた春の空では、白々とした昼の月が全く人事の様に違う方角を眺めていました。春とは言え、いつも風の中には冷たいものが幾らか混じっていました。
自分が王様という役割を果たす事をみんなが望んでいるんだと、ただ漠然と信じていました。

こうやって頑張っていく事が良い事なんだと信じていました。

でもいつまでも自分が本当に何をしているのか、その現場で、目で見て手に触れて感じた事はありませんでした。感謝されているという幻影も、自分の周りにいる何人かの人間で共有しているだけでした。

何かが違うという実感だけが、お化けの様にあらゆる風景の影に隠れていました。


 

次の日みんなが目を覚ますと王様は見当たらず、玉座の背に張り紙がピラピラとたなびいていました。


< 皆様へ、お陰さまで戦争は終わりました。後は皆さんで適当にやって下さい。王様 >


信念を持って働いていた何人かがいろいろと熱弁をし大騒ぎでしたが、何日か経つとそれも自然に消えていきました。
何年か経つとそんな話もすっかり忘れ去られていきました。

 

そうして、みんなは適当に家に帰り、家業を継いだり、別の商売を始めてみたり、向こうの土はオレンジ栽培にはピッタリなんだと言って隣の国に引っ越したりしてゆきました。こちらの生活様式の方が合っているといって引っ越してくる家族もありました。

大臣は母親ももう年なのでといって地元に戻り、王様は全く別の人に引き継がれました。

逆さ吊りの男の部屋には新しく若いカップルが入り、居心地が悪くなったと言って他へ移って行ったと大家は話していました。

 

めでたし、めでたし。