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作品たち

本当に火事にあった時のことです。

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うそのような警報機が鳴って、またまたぁ、と自分の用事をゆっくりと済ませてから軽い気持ちでドアを開けると、アパートの4階の廊下は白くモヤってる。
おっ。
もう一回部屋にもどってベランダの窓から下を見ると、みんな下の通りから上を見上げて、おーい、早く降りといでーってやってる。
これ全部燃えちゃうんだったらなんか大事なもん持って降りた方がいいんじゃないかな。緊急だろうがなんだろうが外は寒いじゃん、マフラーと上着は着ていかなくちゃ。まあ帽子はいいか。どうする、何持ってく?ギター。ホント?ギターよりRolandのほうが高いじゃん。やぁ、いさぎよくマテリアルにこだわんない方がいいんだよ。や、でもこういう混乱時に空き巣が入るからカギはしていこう。
財布は持っていこう。
テクテクテク
あぁ、これが火事の匂いなんだ。間に合ってよかったよ。
こんなにアパートの住人が全員一緒になることないし、みんなどこかウキウキしてる。
消防署の人は落ち着いてるねぇ。ガムかんで冗談言ってる。
2階のあそこの部屋モクモクしてる。早く行った方がいいんじゃないの。
ゴンドラをびゅイーんと伸ばしてベランダに到着。そして、消防隊員が斧で窓を破る。ウェイトレスで働いてるときに、グラスが沢山のってるワゴンをうっかりひっくり返しちゃったみたいな、ヒヤッとする音が、静かな住宅街をつんざき、グレーの家並みにこだましていく。大火山がボカンとなって、黒いきのこ雲が町内を冷やかすように、くるっとひるがえる。
おーッ
歓声があがる、拍手はないか。
オイッ、そのとなりの部屋にまだ誰かいるぞ。つながったベランダに、ピンクのネグリジェを着たおばちゃんが出てきて、耳が聞こえないの、というジェスチャーをしてる。でもなんかニコニコして楽しそう。隊員が地面にしゃがんでカチャカチャとはしごを伸ばす。ベランダで待つおばちゃんと2人の隊員、なぜか同じ位の身長で体型も似てる3人はゆっくりとはしごを降りてくる。おばちゃんニコニコしてるけど、はしごは怖いのかな、アタフタしてる、がんばれ。後ろから両手でおばちゃんの腰を押さえながらも、パンツ丸出しにならないようにちゃんとネグリジェも時々ひっぱる優しい隊員。

ア、あの管理人、またいつの間に。
今まで下で一緒に見てたのに、モクモクの上のベランダから、いつものスーツに革ジャン姿で、目を真っ赤にしながら、隊員と一緒に出てくる目立ちたがりの管理人。あぁ、そりゃ痛いわ。隊員はみんなちゃんとマスクしてるもん。ペッペッとつばを吐いて、下にいるみんなに、こりゃひどいわ、という風に首を振ってみせる。なんであそこにいんだろう。でもなんか生き生きしてるね。よかった、よかった。
やっと降り立ったおばちゃん、裸足だったと思ったら、黒いバレーシューズがしわしわになって、モコモコをつけたみたいな変な靴はいてる。火事のとき裸足で逃げるとこういう靴がもらえるんだぁ。

僕のレストランでぜひ休んでください!さっきからすごいコーフンでうろうろしていた下のレストラン店長、悲壮な顔して、ニコニコしたおばちゃんの肩を支えながら、みんなをお店に誘導する。
アパートの住人のほか、見物してた何人かもなんとなくズラズラと店に入る。
隣のちょっと私に気があるおじさんが一緒に行こうよと誘う。
もうすっかり火は消えて、今は何人もの隊員がとち狂ったように部屋の壁やら天井やらを斧で壊しまくってる。それをじっと見つめる管理人。
あ、私お財布持ってきたんだ。ちょっと八百屋さん行ってこ。帰ってきたら煙もだいたい引いてるかも。


2007年3月